小学生や中学生の時期の子供の社会、世界は小さいですが、それが大人世界の縮図だとも言われています。
大人世界にいじめが無くならない限り、子供社会でいじめが無くなる事は無いでしょうし、大人社会でも人間という「動物」である限り自分より弱い者を淘汰するといういじめの構図は変わらないでしょう。
生物学的に弱肉強食ではあるものの、それとは別に、人間には理性というものが備わっていて、自分の感情をコントロールする力が備わっています。
しかし、その感情をも揺るがすような「前世・因縁」というものがご自分を支配する事もあるのをご存知でしょうか?
人類の歴史の中での位置づけとして、文明は、今から約8,000年前に誕生したと考えられています。紀元前3,000年から紀元前2,000年にかけて、メソポタミア、エジプト、インダス、中国の4つの文明が生まれたのは周知の事と思います。
これら「古代四大文明」があったのですが、キリストの誕生を境に紀元前と紀元後を分けて、紀元後を西暦として使用しています。
ということは、人類の歴史といってもとらえ方、考え方によってかなり変化してしまいます。
話を元に戻しましょう。
因縁、前世という事から紐解くと、私たちの祖先はおよそ人類と呼ばれるようになってからは8000年というとんでもない歴史を持っているという風に考えてもいいと思います。
という事は、私たちの「前世」というとらえ方も、紀元前6000年からと考えてもいいのかもしれませんね。
その長い歴史の中、人類の営みの中において、およそ生きて行くために淘汰されてきた事は想像に難くないことでしょう。
厳しい自然の中で生き抜くためには体が弱かったり、負傷したり、病気だったりする仲間を見殺しにしたであろう歴史は、きっとあるに違いありません。
そのような前世を考えた時、その前世を供養し、生き方に共感し、理不尽に対しての憎悪の念もリセットするようにしていかなければなりません。
人は100回以上もの転生を繰り返す人もあるということです。
多くの人生を経験した「魂」は回数を重ねるごとに成熟し、今の人生においてそれが役立って行くことがあるようです。
若年の人でも妙に人生観が鋭い人、落ち着いている人・・・これらは生まれ変わりによって何かを学んでいたのでしょう。前世の記憶はありませんが、人格的に深い洞察力に長けている人が多いようです。
それに反して魂が若い、いわゆる幼児のような場合には、今の人生においてどれだけ年長者であっても、考え方や行いがちゃちで幼稚な場合が多いです。
誰とは言いませんが、地位も名誉もある人なのに、行動が社会通念上ありえない、あるいは、非人道的だったりと、およそ人として、人生の終盤になってもなお、人の道に外れたりしている人は「魂レベルが幼稚」という事になりそうです。
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