昨今、供養の形が大きく変化し、永代供養も多くなる中で、「直葬」「家族葬」などという言葉が生まれ、病院から直接火葬場へ、そしてそのまま永代供養へという流れも耳にするようになりました
そして、節目に行われる「法事」も大変少なくなったり、日程を調整したりすることが多くなったとお聞きします
四十九日すら省いた、ということもあるようです
四十九日法要や供養についてご相談をいただきましたのでお話したいと思います
直葬をした
喪主さまと亡くなられた方との関係は父子でした。生前親子関係は険悪で、とても冷静な供養などをしてあげる事が出来ない、というご判断で病院からの直葬にした、とお聞きしました
その後、それでも気になり始めたご様子で、私に
「父は成仏していますか?」とお尋ねになりました
私は、
「直葬をなさったのですから、霊はさまよっていますし、ましてや、その後の四十九日もその後の法要もなさらなかったではないですか・・・それなのに、成仏しているかが、気になり、成仏をして欲しいと願うのですか?」
ご相談者は、ハラハラと涙を流して話始めました
「実は父は私たち子供たちのことを本当にないがしろにし、母親はいつもフラフラと青い顔をしながらも働いており、子供ながらに母親が辛い思いをしているのを目の当たりにしてきました。母がいつも夜、声を殺して泣いていたのを私たち子供は見ていて、子供心に父親に対する憎しみ、憎悪が湧き出ていたのを今でも思い出します。それに、父親は母親が働いた給料を盗み、ギャンブルに興じたり、以前からの知り合いの女に会いに行ったりしていたと、のちに母親から聞いたりもしました。そういう経緯から、いつしかどうしても父親への復讐というか、父親には罰を与えなければ、という気持ちが胸に沸き起こっていて、それを果たせるチャンスが死んだとき、ということだったのです」
「それで、復讐したら気持ちは晴れましたか?」とお聞きしますと、
「いえ、晴れるどころか、次第に自分が苦しくなってきたのです。時折、影のようなものが見えたり、足音がしたり、この間は母親の目の前に父が立って、『おいっ!』と言った、というのです」
「お父さんを除霊したいのですか?」
「いいえ、父の影が見えるようになってから、考えさせられることがあり、私は、直葬をし、葬儀や四十九日をしなかったことによって父が成仏できないのではないか、と考えるようになりました。それは白龍先生のブログを読ませていただいたことによるものです」
「そうでしたか、、よく考えを改めてくださいましたね。亡くなったら善人も悪人もみな仏様です。魂となれば善悪はありません。許せない気持ちはあっても、たくさん憎み、恨んだことによって、あなたの心も疲弊してしまったのでしょう。
そして、私が思うに、あなたの心の支えがなくなったように感じます。
それは憎しみがあなたの生きる意味のようになってしまっていた、ということですね。
ご自身の憎しみの心ともお別れの決着を付けないといけない時期でしょうね。
お父さんを許す事は難しいかもしれませんが、憎しみや恨みからは良い結果は生まれませんね。
そして、お父さんを憎んだ恨んだ自分も「許す」事が大切です。
お父さんがあなたたちにしたことはとても許される事ではありませんが、それは神仏がしっかりと決着をつけてくださいます。
後の事は神仏にお任せし、今あなたが出来る最善の方法を行いましょう。
まずはあなたの心を救う事から始めましょう・・・・
今からでもいいのでお父さんの魂を鎮め、お父さんが生きていらっしゃった時に行った悪行は反省していただかなければならないところではありますが、亡くなって魂となったら、この世での罪をしっかりと背負い、次の生まれ変わりにおいてはその罪を悔いて善人となり、人々のために尽くすようにと願い、供養をして差し上げるといいでしょう」
そう話す私を食い入るように見つめ、ご相談者は
「今からでも遅くないでしょうか?私が父にした仕打ちを父は許してくれるでしょうか?供養します」
供養を始めて1年・・・
彼女のお父さんは神仏の導きもあり、無事に成仏への道を昇り、成仏されました。
このお話から、確かに生きている人、ひどい事をされた側からすれば、殺しても飽き足らないほど憎いでしょう。
しかし、こうして亡くなり、霊となってしまわれると、憎んでいた側の人はその憎しみを向ける相手が現実には存在しなくなり、憎しみを向ける相手を見失ってしまうのです。
生きている人間は、憎む相手が目の前にいるからこそ憎しみを感じ、ひょっとすると、相手が生きているから自分を奮い立たせ、目的は間違っていますが、「生きる気力」を持ち続ける場合もあるのかもしれません。
相手を許す心・・・・生きている私たちはそれを学びにこの世に生まれてきたのかもしれませんね。。。

コメント