供養〔3〕

さて、準備を整えたところで古い時代の数多の霊に対する供養が始まりました。

手順を間違えないように、供養の言葉を間違えないようにと型通りの供養をして暫く経ったある日のこと。何かが違う、と思い始めました。それなりに誠意を持って供養しているものの、大切なことを見落としている気がして、でもそれが何なのかがわかりません。何が足りないのか、違うのか、考えても考えてもその当時の私にはなかなか閃くものはありませんでした。

そんなある日のこと、何故か無性に古墳へ行かないといけないような気になり、居ても立ってもいられなくなりました。この地に暮らして20年以上になりますが、古墳や関係する施設に特に興味が湧くこともなく、残念ながら一度も行ったことはありません。古墳も数が多過ぎて日常風景に溶け込んでいるために、緑豊かな草木に覆われた小山らしきものがまさかそれとは思っていなかったのです。

そんな自分が突き動かされるようにこのような気持ちになるとは… これは行くしかありません。

車で現地に向かうと、私に最も関係がありそうな古墳は頻繁に通る道路の目の前にあり、よくもまあ古墳と気づかずに今まできたものだと呆れます。

そして初めて古墳を訪ねたその日は季節は既に初冬に入り、360度ぐるりと見渡すことができる古墳の頂上はビュービューと冷たい風が吹きすさんでいました。人影は見当たらず、辺りは風の音しか聞こえません。そこだけが現実から切り離された異空間のようにも感じました。

そして同時に凛とした、静かで厳かな気を感じました。耳がちぎれそうなほどの寒風の中、「よく来たな」(よくぞ来てくれたな、待っていたぞ)と歓迎されているような気がしたことを記憶しています。しばらくその頂上からの景色を眺めながら、いにしえの時代に生きた人々へ思いを馳せました。

ただ、隣にある当時この地方を治めていたであろうとされる方の古墳は何故か拒絶するような空気を感じたため、長く居る場所でない気がして、すぐに下に降りました。これにも理由がありましたが、いずれまた。

この後も季節ごと、或いは折に触れて古墳を訪ねることとなりましたが、回数を重ねる度に懐かしさを覚えるようになるのでした。

そして少しずつ時が進むにつれ、私の日々の供養に変化もあらわれてきたのです。

〈続く〉

青龍

さまざまな体調不良や痛みをお持ちの方、ご縁ある方のお役に立つことができれば幸いです。

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